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最初の朝鮮通信使 李藝

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BOOK「李藝-最初の朝鮮通信使」(金住則行著)

「李藝-最初の朝鮮通信使」(金住則行著)

15世紀 朝鮮王国から初めて通信使として日本へ派遣され、両国交流の道を開いた李藝一代記の小説化!
著者:金住 則行
価格:¥1,680税込 / 送料別
2011年/河出書房新社

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Storyあらすじ

すべては8才の夜に始まったー。

ある夜、突然倭寇に襲われ、母が連れ去られたのだ。
泣き叫ぶ李藝を平然と見下す倭寇。
李藝は決意した、「必ず母を連れ戻す」。

時は過ぎ、困難の末に官人となった李藝は、71歳までの間に日本に渡航すること40数回。
その間に667人もの母国人を取り戻すが母の行方は依然としてわからない。
恋もした。家庭も持った。祖国のために貢献もした。
しかし、あの母さんは…?

李藝は、そのすべてを息子に語る。
息子宗実がこみ上げる涙を抑えて聴く父の話とは…?!。

※小説『李藝』は、史実に構想を得て創作されたフィクションです。

Table of Contents目次

李藝 最初の朝鮮通信使

序章李藝から息子宗実へ
第一章すべてはあの夜から始まった
  1. 一 拉致
  2. 二 師匠
  3. 三 鍛錬
  4. 四 恋心
  5. 五 模索
  6. 六 結婚
  7. 七 出世
第二章母を捜して幾年月
  1. 一 気負―壱岐
  2. 二 動揺―対馬 その 一
  3. 三 混乱―対馬 その 二
  4. 四 対立―対馬 その 三
  5. 五 未知―琉球
第三章母のような犠牲者を出してはならない
  1. 一 待望―日本使行
  2. 二 望郷―最後の対馬
第四章私の人生の幕は降りた
  1. 一 雪殿
  2. 二 母上
終章息子宗実から父へ
余章それでも歴史は続いている
あとがき
資料

Characters登場人物

朝鮮

李藝※(イ・イエ)主人公。李氏朝鮮時代の外交官。
李宗実※(イ・チョンシル)李藝の子、李藝の跡を継いで朝鮮通信使となる。
母※李藝の母。倭寇に拉致され日本に連行される。
お師匠様李藝が引き取られた蔚山(ウルサン)にある大和寺の住職。朝鮮武術の名手。
世宗(セジョン)大王※李氏朝鮮第4代王。李朝最大の王といわれる。天文台を開発しハングルを作成する。

日本

アキバツ※前期倭寇の中心人物。李藝の母を拉致する。
平井新左衛門※お師匠様に紹介された日本武術の名手。日本の戦国大名大内義弘の家来。
平井新左衛門の妹
宗貞茂※対馬の島主。李藝の交渉により、倭寇対策について朝鮮に協力し友好関係を保つ。
宗貞盛※貞茂の死後、対馬の島主となる。1438年、李藝と文引制につき約定を締結する。

※印は実在の人物

Messages from the Author and his Team制作者メッセージ

著者:金住 則行(かなずみ のりゆき)

ともかく、今日の日本に李藝という人物を紹介したいと思いました。
「歴史は人をつくる」といいますが、「人が歴史をつくる」ともいいます。
坂本竜馬は日本の歴史を変えました。
しかし、それ以後、日本の歴史に中で、竜馬に匹敵する人物はいません。と私は思います。
しかし李藝は、竜馬に勝る人だと思います。もしこのような人が、今の日本にいたなら、何を考え、何をするでしょう。そんな思いをもって、私は「小説李藝」を執筆しました。
とにかく読んでみて下さい。
きっと李藝にほれることでしょう。

1940年愛知県生まれ。中央大学法学部卒業。1964年司法試験合格。1967年第一東京弁護士会弁護士登録。
グリーン法律事務所 <http://www.green-hkk.com/>(東京都千代田区)所長。
著書に『遥かなるオーガスター若き獅子たちの旅立ち』、『モルダウの黄昏』(ともに知玄舎)など。

企画:益田 祐美子(ますだ ゆみこ)

私は李藝に恋をしました。
何百年も前に、日本と韓国を結んだ李藝のことを、知れば知るほど惚れてしまいました。
でも残念ながら日本では、李藝の功績や人物像はあまり知られていません。
そこで、現代の若者でも理解できるよう読みやすく、恋もして、冒険もして、涙ありの小説としてまず李藝の魅力を伝えたいと思いました。
歴史には、過去、現在、未来をつなぐ教訓があります。とりわけ日韓関係において、歴史を学ぶ意義は大きく、重いことです。『李藝』では、教科書では教えない、室町時代の通信使の苦労や冒険、恋や別離、外交交渉の秘話など、現代にも通じる「思い」や「知恵」を投げかけます。
きっと読む人を温かく力づけてくれることでしょう。

映画&コンテンツプロデューサー。株式会社平成プロジェクト代表取締役社長。
日本=イラン合作劇映画『風の絨毯』(2003年 カマル・タブリーズィー監督)、
日韓合作ドキュメンタリー映画『海峡をつなぐ光』(2011年 乾弘明監督)などを製作。
韓日文化大賞2011年受賞。
著書に『3億5千万円を集めた主婦は、世界をつなぐ映画プロデューサー。』(河出書房新社)など。

Readers' Reviews読者の感想

崇高な想いを持つ偉大なヒーローが、日韓の知られざる歴史の中で活躍する素晴らしい物語でした。

(元木 宏さん 東京都・55歳・男性)

小説『李藝』を読んで、自分が知らなかった韓国と日本の歴史に触れることができ、すごく勉強になりました。

(趙 美正さん 千葉県・33歳・女性)

すばらしい歴史物語に感動しました。徳の篤い人はこれ程の偉業を成し遂げられる。人の力は偉大なり。この志を引き継いでいかねばと強く思います。ありがたい本です。

(丹羽 耕太郎さん 岐阜県・65歳・男性)

日本と韓国は約2000年以上の長い歴史の中で、20世紀のある一時期の不幸な歴史ばかりがクローズアップされ真の友好関係を築きにくい環境であったことは否めません。しかし、今回過去の良き時代の真の友好関係を「李藝」を通じて知ることができて心から喜んでいます。
史実に基づいた時代背景に、金住先生の想像力を駆使した人物像の描写が加えられたこの本は、国籍という垣根を越えて多くの人々に感銘を与える内容であると思います。また、時折覗く「恋愛観」と「詩心」から著者の不朽の浪漫を垣間見ることができたことを少し嬉しく思います。
今後の映画化や舞台化が実現することによって、より多くの人に知ってもらう良い機会になると思います。朗報をお待ちしています。

(元 永三さん 福岡県・56歳・男性)

日本人が読んでも韓国人が読んでも感動する内容。
この本は間違いなく日韓文化交流を一層促進する重要な書物になると確信しました。一人でも多くの人に読んでほしいと思いました。

(堀口 文良さん 東京都・51歳・男性)

韓国の友人と日韓関係について話したことがあった。
お互いの意見がそれぞれ国を代表したような緊張感に包まれ、うまく話が進まない。
しかし我々はこうして今まさに交流し、意見し合い、個人的に友情を育んでいる。それは李藝がしていた、信を通じあう心と同じ事だ。僕はそう思っているが、知りたい事は、韓国の大多数の人が、この本からどういう日韓関係をこれから想像していくかという事だ。
彼等の喜びが我々の喜びであり、我々の喜びが彼等の喜びと思える日がきっといつか訪れる。そのきっかけに値する本だと思う。

(山本 宗平さん 静岡県・31歳・男性)

今、日本と韓国は新しい文明創造の先駆者に立ち上がることができるか、衰退・自滅の道にいくかの分岐点に立っています。
この危機であり、チャンスである重要な時に、映画「李藝」は信頼のもとで国家民族の障壁を越えて疎通させる通信使1号の立場の人のストーリーだったので、この時代に日本と韓国が信頼のもとで、ビジョンを同盟、薩長同盟を結成し、古い価値観・古い秩序を克服して新しい生き方を実践する勇気を与えてくれる映画だと思いとても感動しました。
これから日韓がひとつになって、新しい歴史をつくっていく主人公になることを確信しています。
素晴らしい本を出してくださってありがとうございました。

(盧 在洙さん 東京都・男性)

The message from Lee Ye for today李藝が現代人に投げかけるメッセージ

李藝とはどのような人物であったか

李藝(1373~1445年)は、韓国蔚山郡の郷里の下級官吏として官職での経歴をスタートさせ、中央政府の堂上官である従二品の位まで昇りつめた立志の人でした。人生を日本専門の外交官という、ひとつの道に捧げ、43年間40回余りにわたり日本と朝鮮を往来し、そのうち4回は京都の幕府(朝鮮の歴史記録には日本国王)への派遣でした。また、一方では倭寇に拉致された朝鮮の住民を地道に探し出し、合計667名を送還させる功績も残しました。

後継者であった息子の李宗實も外交官として奉職していましたが、1459年、通信使として日本へ向かう途中、嵐にあい殉職するなど波乱に満ちた外交官一家となりました。

最近になり日韓の歴史学者の間で活発な研究がなされ、多くの歴史的事実が整理、紹介されました

2005年2月 韓国の文化体育観光部が「文化人物」として選定
2006年10月 蔚山MBCテレビで「李藝」の特集番組
「私は朝鮮の通信使です」を放送
2010年5月 韓国外交通商部が「わが国外交の輝かしい人物」に選定
2010年10月 韓国公営放送KBSで歴史スペシャル「李藝」を放映
2011年12月 小説「李藝」日韓同時出版

李藝の何が600年前の日本と韓国両国間で善隣関係を結ぶことに成功させたのでしょうか

幼い時、倭寇に母親を拉致された憎しみを友好への昇華させた心構えはもちろんのことで、当時、43年間にわたり40回以上も日本と韓国を往来できるための体力と精神力、特に1416年には朝鮮から2000Kmも離れた琉球王国まで往復を可能にさせた冒険心と使命感。実用的な観点からは、朝鮮にない日本文物の有効性を認識し、貿易の重要性を実感する傍ら中立的な価値観から日本文化の独自性を認めていました。

武力より対話を通じた外交的な手段での対日対応を重視する姿勢を貫徹し、そのような彼の外交的基礎となったのは【知日】【緻密な観察力と使命感】【朝鮮という国に対する献身と王に対する絶対的な信頼】【当代きっての優れたコミュニケーション能力】にあったと思われます。

特に李藝は現在の私たちに何を問いかけているのでしょうか

1422年、朝鮮と日本の間には外交的な問題から、李藝は55日間も拘留されましたが、その時、“天道は真心で万物を成し、人道は信義でその行いを立つ。国を経営する者は隣国と交際する際には真心をもって嘘を語らないものである。貴国が我々をこのように接し、明日、もし我が国が貴国の臣下をこのように接待するのであれば、両国の関係はどうなるのか”と語り、自由の身になったことがありました。

李藝は、人生の大半である43年をも朝鮮通信使として日韓を40回以上往来し、両国の友好のため尽力しましたが、これは、朝鮮と日本の両国から絶対的な信頼と信義がなければ成しえないことでありました。外交とは、一方的に自国の利得のみにこだわれば相手の国から信頼されることはなく、また、相手国にばかり慮れば自国では売国奴と非難を免れないのにもかかわらず、43年間の両国間の外交を円満に遂行し、日韓で初めとなる条約である癸亥約条(1443年)を締結させ、日韓両国間の歴史上で最も平和な時期を築きました。

これは簡単なことのように聞こえるかも知れませんが、43年もの間に両国のリーダー、当時の統治者も代かわりして入れ替わっており、さらに外交を担当する臣下の面々も替わる中で、変わらず信頼を築いていったことは、人並みの人格では通じるものではなかったのではと考えます。

隣の国ではありますが、自国とは違う社会背景や風俗に常に客観的で中庸の立場をとり、また文化的な独自性を認め、まず何より相手を理解し理解してもらうことの「コミュニケーション」の達人でありました。

今日、我らの日韓間の現実はどうでしょうか。もちろん、以前よりは格段によいムードになって来てはいますが、未だに我のみが正しく、相手の立場は慮ることは不十分であり、更に場合によっては自国の優位性を誇示するためとしか思えない「政治的な発言」が発せられるのでは、いつになりましたら李藝のような外交官や政治家が望めるのでしょうか。

2012年2月24日
前日本サムスン株式会社
代表取締役社長 李 昌烈